はじめに
債権者が自己の債権を確実に回収しようとする場合、将来発生する債務者を債権者とする受働債権で相殺するということがある。これは、債務不履行を防止するという意味での債権担保となる。債権者が賃借人で債務者が賃貸人である場合、確実に発生する将来債権との相殺契約を締結することもある。しかしそのような賃貸目的物に抵当権が設定されて、物上代位がなされると、この相殺契約は、抵当権者に対抗できるのだろうか?物上代位と相殺の問題である。
出典
民集第55巻2号363、LEX/DB:28060499
当事者関係
X:銀行、Aの債権者、建物抵当権者(原告、被控訴人、被上告人)
Y:建物賃借人(被告、控訴人、上告人)
A:Xの債務者、抵当権設定者
時系列表
事実関係がほとんど判例に示されておらず、内容がよく分からなかったので本判例の「調査官解説」(法曹時報54-8-245。『最高裁判所判例解説民事篇』所収)に基づき作成した。
S.60.09.27 | A、Xのために本件建物に根抵当権を設定(極度額5000万円) |
S.60.11.14 | A、Yに本件建物1階部分を賃貸(保証金3150万円) |
H.08.01.31 | X、Aに対し3億7016万円の手形貸付(弁済期H.08.04.04) |
H.09.02.03 | A・Y間の合意
08.31賃貸借契約の合意解除 09.01新賃貸借契約締結(保証金300万円) 08.31までにAはYに保証金残額2820万円を返還する |
H.09.08.31 | A、Yに2820万円返還不可 |
H.09.09.27
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A・Y間の合意
H.09.12.31までにAはYに保証金残額のうち1651万円を返還する YのAに対するH.12.09までの賃料債権各月分(30万)を保証金返還債務と相殺する |
・ | A、Xに対する債務、不履行(残元本3億⑵903円) |
・ | 京都地裁、AのYに対する賃料債権に対する差押命令を発布(←Xの物上代位権)
賃料債権のうち差押命令送達時以後支払期にあるものから900万円に満つるまで |
H.10.01.24 | 差押命令、Yに送達(差押えの効力発生:民執法145 V) |
H.10.01.28 | 差押命令、Aに送達 |
訴訟物・請求の趣旨
事件名が「取立債権請求事件」である。「取立訴訟」といわれ、民執法155に規定されている。差押債権者[X]が第三債務者[Y]に対して、被差押債権[AのYに対する賃料債権]の給付を求めるものである。したがって訴訟物は、通説に従えば、被差押債権そのものとなる(岡口基一・要件事実マニュアル[第6版]、282頁以下)。H.10.02分から、900万円に満まで、すなわち30か月分だから、H.12.07分までのAのYに対する賃料債権となる。しかし請求の趣旨によると150万円分請求している。そこで本件取立訴訟ではH.10.02分からH.10.07分の5か月分の取立を請求していることになる。
訴訟物:AのYに対する本件建物賃貸借契約に基づく賃料請求権
請求の趣旨:「YはXに対し、150万円を支払え」
判旨
Yの上告に対して判旨は「上告棄却」であるので、「Xの請求認容」ということになる。
判例分析
判決理由中Xにとって有利な部分と、Yにとって有利な部分を分析していこう。
抵当権者が物上代位権を行使して賃料債権の差押えをした後は、抵当不動産の賃借人は,抵当権設定登記の後に賃貸人に対して取得した債権を自働債権とする賃料債権との相殺をもって,抵当権者に対抗することはできないと解するのが相当である。けだし,物上代位権の行使としての差押えのされる前においては,賃借人のする相殺は何ら制限されるものではないが,上記の差押えがされた後においては,抵当権の効力が物上代位の目的となった賃料債権にも及ぶところ,物上代位により抵当権の効力が賃料債権に及ぶことは抵当権設定登記により公示されているとみることができるから,抵当権設定登記の後に取得した賃貸人に対する債権と物上代位の目的となった賃料債権とを相殺することに対する賃借人の期待を物上代位権の行使により賃料債権に及んでいる抵当権の効力に優先させる理由はないというべきであるからである。
そして,上記に説示したところによれば,抵当不動産の賃借人が賃貸人に対して有する債権と賃料債権とを対当額で相殺する旨を上記両名があらかじめ合意していた場合においても,賃借人が上記の賃貸人に対する債権を抵当権設定登記の後に取得したものであるときは,物上代位権の行使としての差押えがされた後に発生する賃料債権については,物上代位をした抵当権者に対して相殺合意の効力を対抗することができないと解するのが相当である。
以上と同旨の見解に基づき,本件建物について賃貸借契約を締結したYとAとの間においてYが本件根抵当権設定登記の後に取得したAに対する債権とAのYに対する賃料債権とを対当額で相殺する旨を合意していたとしても,Xによる物上代位権の行使としての差押えがされた後に発生した賃料債権については,上記合意に基づく相殺をもって被上告人に対抗することができないとした原審の判断は,正当として是認することができ,原判決に所論の違法はない。論旨は,採用することができない。
判例解析
Xが本件建物に設定したのは「根抵当権」であるが、それは抵当権の一種であり、本判例でも「抵当権」と記載しているので、その記述に従うことにする。
【X1番枠】
事件名が「取立債権請求事件」であるので、民執法155 Iの取立訴訟の要件を挙げることになる。訴訟物の被差押債権(AのYに対する賃料債権)については、民執法155 Iの要件の⑤で触れることにする。
【Y1番枠】
そうすると、Yとしては§505 Iにより被差押債権を受動債権として相殺したことを主張することになる。
【X2番枠】
それに対してXは、民執法145 Iにより、差押命令の効力を主張することになる。すなわち、Yに対してAへの弁済が禁じられていることになるが、弁済と同じく、被差押債権の消滅を来すから相殺も同条の「弁済」に含まれるということになる。
他方で相殺と差押との関係を規制する§511を思い出す人もいるかもしれない。§511前段は、「差押えを受けた債権[A→Y賃料債権]の第三債務者Yは、差押え後に取得した債権による相殺をもって差押え債権者[X]に対抗することはできない」となっている。Yが取得した債権[保証金返還請求権]は、Xの差押え前に取得したものだから、§511は適用できない。しかし同条を思い出す人と、全く思い出さない人では前者の方が伸びる可能性が大いにある、と民骨さんは考える。
【Y2番枠】
このことについて、Yは1審・原審で繰り返して主張しているのは、相殺の合意である。つまり、Aの賃料債権発生と同時に、Yが相殺することを主張することになろうか。
【X3番枠】
相殺の合意に対するものとしては、抵当権の実行としての物上代位であり、その手続きとしての差押えを主張することになる。
【Y3番枠】
そうすると、物上代位による差押えの前に相殺の合意がなされたことを指摘する。それによって物上代位が予測不可であるので、Yの期待権を保護すべきであると主張することになる。
【X4番枠】
物上代位がA・Y間の合意に優先するものとして、判決理由中に「物上代位により抵当権の効力が賃料債権に及ぶことは抵当権設定登記により公示されている」、「賃借人が上記の賃貸人に対する債権を抵当権設定登記の後に取得したものであるときは,物上代位権の行使としての差押えがされた後に発生する賃料債権については,物上代位をした抵当権者に対して相殺合意の効力を対抗することができない」とある。この部分をうまく処理する必要がある。抵当権の公示であるから§177を適用すべきである。そこから出てくる結論として判決理由中にある「Xの抵当権設定登記後発生する賃料債権に抵当権(物上代位)の効力が及ぶことが公示されている」、「Xによる物上代位権行使の予想がYに可能」、「抵当権設定登記後発生する賃料債権を受動債権とする相殺契約は、根抵当権(物上代位)行使に対抗不可」ということも記載するとより良いだろう。
解析結果
Xの主張 | Yの主張 |
1.取立権【民執法155】
① 差押命令の発令(AのYに対する賃料債権のXによる差押え) ② 第三債務者Yへの差押命令の送達【民執145V】 ③ 債務者Aへの差押命令の送達 ④ ③から1週間経過 ⑤ 被差押債権(AのYに対する賃料債権)の発生(←A・Y間の賃貸借契約) |
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相殺【§505 I】
① 相殺適状 ⑴ 相対立する債権 ・YのAに対する保証金返還債権(自働債権1168万円) ・AのYに対する賃料債権(受働債権、月30万円) ② ①の両債権の目的が同種(①②の両債権=金銭債権) ③ ①の両債権の弁済期到来(H.10.02以後月末) 相殺の意思表示【§506Ⅰ】(月末に相殺する合意) |
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【民執法145 I】
①差押命令(AのYに対する賃料債権) ⇒第三債務者Yに対しAへの弁済禁止 ∴YのAに対する賃料債権を自働債権としての相殺禁止(Xに対抗不可) |
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A・Y間の相殺の合意
Aの賃料債権発生と同時にY相殺 |
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物上代位【§372→§304】
① 抵当権の成立 ② 設定者AがYに本件建物を賃貸 ③ ②によりAが受けるべき金銭(AのYに対するAの債務不履行後の賃料債権) ④ Aの債権(Yに対する賃料債権)のXによる差押(H.10.01.24) |
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・物上代位による差押え(H.10.01.24)に先立つA・Y間の相殺の合意(H.09.09.27)
・物上代位、予測不可 ∴ Yの相殺期待権を保護すべきである |
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§177
① 不動産(本件建物) ② 物権変動(Xのための抵当権設定) ③ Xに登記あり ⇒③以後の②、第三者Yに対抗可 ・ Xの抵当権設定登記後発生する賃料債権に抵当権(物上代位)の効力が及ぶことが公示 ・ Xによる物上代位権行使の予想がYに可能 ・ 根抵当権設定登記後のA→Y債権を受動債権とする相殺契約は、抵当権(物上代位)行使に対抗不可 |
終わりに
相殺の合意と抵当権の実行としての物上代位の競合の問題であった。この判例も最判H.10.1.30(平成6年(オ)1408号)で判示されていた抵当権登記の公示の理論が引き継がれている。当然の結論であろう。物上代位は抵当権の実行の一種であるので、抵当権そのものの登記が対抗要件となっている。このことをもう一度確認しよう。
余談だが、民骨さんがこの判例を10数年前に解析したときは、【X2番枠】止まりの荒いものであった。【X1番枠】で民執法155と§372→§304、【Y1番枠】で相殺の合意、【X2番枠】で判決理由をそのまま転載、というものであった。今回「民法の骨」に発表する際に、論理の荒さに我ながらびっくりした。判例解析=判例シートは1回で完璧に仕上げられればよいが、何度も修正されることの方が多い。みなさんも自分で作成したものと民骨さんのものと比べて、勉強に役立ててもらえれば、民骨さんにとって望外の喜びである。
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