基礎理論(その8)--判例解析で求められるもの

基礎編

 法律問題は、法を事実に適用することによって解決する。この場合法律条文がある場合は、法律条文に従って、その要件に個別の事実が充足されるか、包摂されるかどうかを検討し、それが認められる場合には、その条文の効果を決定していけばよい。したがって、法律条文通りに解決できる場合には、裁判所でも同じ解決が得られるから、訴えを提起する必要はない。

 その意味でも、法律条文の適用のために、その要件と効果を最重要視して学ぶべきである。

 法律問題のうち、適用できる法律条文を欠く場合は、どうすればよいだろうか。裁判所に訴えて国家による最終的解決を得ようとする場合、最も効果的な解決方法を考えてみよう。それは、過去に類似の事件で裁判所が下した判決と同様な解決を裁判所に求めていくことが効果的であろう。そのような類似の事件で裁判所が下した判決が先例的意味を持ってくると、それに従った判決が続いて下されることになる。このような先例的意味を持った判決を判例という。

 判例には、法律条文が全く予定していない場面を、法的に解決することがある。ただし、法律条文の適用に際して、当該の事実が当該の要件を充足するか、包摂されるかについて判断する判決も多い。このような場合、裁判所は、法律条文を解釈して法律条文の適用の可否を判断している。この意味で、法律条文の要件を精密にするために判例を学ぶ必要がある。

 いずれにしても法律条文そのもので解決できない問題を解決するためには、判例を学ぶ必要がある。

 「民法」または「民法総則」という名を冠した法律書は非常に多く出版されている。その多くは学者が著した体系書である。体系とは、一定の原理・法則性に従ってまとめられた知識の全体構造をいう。それぞれの学者が体系に基づいて表されたのが体系書であり、個々に学者によって主張されたのが学説である。体系書や学説を学ぶと、条文や法律制度についていろいろな解釈が主張されていて非常に面白い。体系書や学説によって、我が国の法律学が大いに進展したことは否定することはできない。

 しかし定評のある体系書を読み進めてみると、そこにある学説が判例と異なる結論を主張していたり、判例を批判したりする。そのような場合、学習の指針として、重視すべきは、学説であろうか、判例であろうか。個人的には、初学者にはまず、判例に従うことを勧める。学習した内容が判例と一致していれば、訴えを提起する場合に、一定の結果を予測することができる。また各種資格試験問題は、法律条文と判例に基づいて作成されている。したがって各種資格問題に好成績を収めるためには、学説よりも判例を十分に習得することが大切である。

 このことを今から800年前の北宋時代に圜悟克勤がまとめた『碧巌録』の第77則垂示に次のように書かれている。 

條(じょう)あらば條を攀(よ)じ、條なくば例を攀じよ  有條攀條、無條攀例

「攀」は「よじのぼる」という意味である。「條」は「条文」を意味し、「例」は「判例」と理解すべきであろう。すでに800年前の古人が示されたことを、我々は座右の銘としながら、当面は勉強していこう。このことは、法律問題について誰が法を適用するにしても、ほぼ同じ結論が得られる、ことを意味する。裁判官や法を適用する人間一人一人によって結論が異なれば、それは法的安定性を損なうことしか意味しない。そのことをより強く言うと「法学者たちは、法律条文を様々に解釈してきた。しかし重要なのは、それを適用することであるDie Rechtwissenschaftler haben dieVorschriften nur verschieden interpretirt; es kommt aber darauf an, sie aufzuwendern.」といっても過言ではない。

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