はじめに
留置権とは、目的物に関して生じた債権を有する債権者が、その債権の弁済を受けるまで、目的物を留め置くことができる権利である。留置権を行使していることは、それは留置権者の占有権原に基づくことを意味する。しかし被担保債権の存在を積極的に主張しているわけではないので、「債権の消滅時効の進行を妨げない」(§300)と明文で規定されている。それでは裁判上被告が、原告の返還請求権自体を否認せず、その発生を阻止するために留置権の抗弁を提出した場合に、被担保債権について何も主張していないことになるのだろうか。また主張をして、それが認められた場合、その被担保債権の存在が確定して、時効の更新効まで発生するのだろうか。応訴については、時効の完成猶予・更新が認められているが[大判昭和14.03.22(昭和12年(オ)第1553号)]、同様に扱われるのだろうか。「時効中断」に「時効の完成猶予」と「時効の更新」の二つの意味のうち、どちらの意味で使われているが注意しながら、解析を進めていこう。
出典
民集第17巻9号1252頁、LEX/DB:27001988
当事者関係
X:本件株式所有者、Aの二女?(原告、控訴人、上告人)
Y:本件株式占有者、Aの弟、Xの叔父(被告、被控訴人、被上告人)
A:本件株式元所有者
A1:Aの二男、Xの兄
A2:Aの長女?、A1の妹、Xの姉
B:銀行、Aの債権者
時系列表
・ | A、Bに借入金の担保として本件株式(台湾銀行株式)を質入れ |
S.19.04.08 | A死亡(→A1死亡→A2) |
S.20.10.15 | 大蔵省令(閉鎖機関)により、在外資産として本件株式の移動禁止 |
S.20.12.13 | A2死亡、X相続 |
S.21.11.03 | B のXに対する被担保債権残高7万5千円 |
X(Xの親権者)が被担保債権残高7万5千円の約束手形をB宛に振出し、あらためて手形貸付 B、本件株式を担保として引き続き保管X、YにB銀行に対する亡父Aの負債整理事務一切を委任 |
|
S.22.06.23 | Y、Xの代理人として弁済・費用償還請求(§702)≠第三者弁済(§§474,500) B、単に担保預り証をYに交付し、本件株式自体をひきつづき保管 時効起算点△(X主張) |
S.27.06.24 | 被担保債権消滅時効完成▲(X主張) |
・ | 在外資産としての株式の移動禁止解除 |
S.30.03.01 | B銀行から本件株式の返還通知を受けた、同席するXの了解のもとに、Yが現実の交付を受ける |
S.30.12.19 | Y、留置権行使(答弁書内) |
S.32.06.23 | Yの事務管理費用償還請求権、時効完成▲(Y主張・第2審認定) |
訴訟物・請求の趣旨
事件名が「株券返還請求事件」となっている。
2009年(平成21年)1月1日に一斉に「株券不発行制度」に移行する前に、株式会社の株主が持つ株式を表章する有価証券として「株券」と呼ばれるものが存在した。本件では、それを返還請求権の目的物としている。本件ではこれを「物=動産」と考えてよい。
訴訟物:XのYに対する本件株式所有権に基づく返還請求権としての株式引渡請求権
請求の趣旨:「YはXに対し、A名義の本件株式を引渡せ」
判旨
Xの上告に対して判旨は「上告棄却」であるので、「Xらの請求棄却」ということになる。
判例分析
判決理由中Xにとって有利な部分と、Yにとって有利な部分を分析していこう。
民法300条は「留置権ノ行使ハ債権ノ消滅時効ノ進行ヲ妨ケス[⇒現留置権の行使は、債権の消滅時効の進行を妨げない]」と規定する。その趣旨は、留置権によって目的物を留置するだけでは、留置権の行使に止り、被担保債権の行使ではないから、被担保債権の消滅時効の中断[⇒現 時効の更新]、停止[⇒現 時効の完成猶予]の効力を生ずるものでないことを規定したものと解するのを相当とする。従って、単に留置物を占有するに止らず、留置権に基づいて被担保債権の債務者に対して目的物の引渡を拒絶するに当り、被担保債権の存在を主張し、これが権利の主張をなす意思が明らかである場合には、留置権行使と別個なものとしての被担保債権行使ありとして民法147条1号[⇒現 147条1項1号、同条2項]の時効中断[時効の完成猶予、時効の更新]の事由があるものと認めても、前記300条に反するものとはなし得ない。
そして、訴訟において留置権の抗弁を提出する場合には、留置権の発生、存続の要件として被担保債権の存在を主張することが必要であり、裁判所は被担保債権の存否につき審理判断をなし、これを肯定するときは、被担保債権の履行と引換に目的物の引渡をなすべき旨を命ずるのであるから、かかる抗弁中には被担保債権の履行さるべきものであることの権利主張の意思が表示されているものということができる。従って、被担保債権の債務者を相手方とする訴訟における留置権の抗弁は被担保債権につき消滅時効の中断[⇒現 時効の完成猶予]の効力があるものと解するのが相当である。固より訴訟上の留置権の主張は反訴の提起ではなく、単なる抗弁に過ぎないのであり、訴訟物である目的物の引渡請求権と留置権の原因である被担保債権とは全く別個な権利なのであるから、目的物の引渡を求むる訴訟において、留置権の抗弁を提出し、その理由として被担保債権の存在を主張したからといつて、積極的に被担保債権について訴の提起に準ずる効力があるものということはできない。従って、原判決が本件の留置権の主張に訴の提起に準ずる時効中断[⇒現 時効の更新]の事由があると判断したことは、法令の解釈を誤ったものといわなければならない。
しかし、訴訟上の留置権の抗弁は、これを撤回しない限り、当該訴訟の係属中継続して目的物の引渡を拒否する効力を有するものであり、従って、該訴訟が被担保債権の債務者を相手方とするものである場合においては、右抗弁における被担保債権についての権利主張も継続してなされているものといい得べく、時効中断[⇒現 時効の完成猶予]の効力も訴訟係属中存続するものと解すべきである。そして、当該訴訟の終結後6ケ月内に他の強力な中断[⇒現 時効の完成猶予]事由に訴えれば、時効中断[⇒現 時効の完成猶予]の効力は維持されるものと解する。然らば、本件留置権の主張は裁判上の請求としての時効中断[⇒現 時効の更新]の効力は有しないが、訴訟係属中継続して時効中断[⇒現 時効の完成猶予]の効力を有するものであるから、本件につき被担保債権の時効は完成しないとして、留置権の存続を肯定した原判決の判断は、結局これを正当として是認し得るものというべきである。
判例解析
【X1番枠】
訴訟物が「XのYに対する所有物返還請求権」であるから、① 本件株式についてXが所有者であること、そして② Yが占有者であることを言えばよい。①の「X=所有者」は、直接的にはA2からの相続であるが、学習の上からは、Aからの代々相続を言うとなお良い。
【Y1番枠】
Yは、法律的に株式を占有する正当な権原、つまり「占有権原」があることを言わなければならない。それは留置権としているのだが、§295で要求される要件「その物に関して生じた債権」を§750「委任費用償還請求権」としている。原審の判決理由中、XがYにB銀行に対する亡父Aの負債整理事務一切を委任していることから生じる。XY間の委任契約が認定されなければ、Yの行為は「事務管理」になる。ドイツ法では「事務管理」のことを「委任のない事務処理Geschäftsführung ohne Auftrag」と言うらしいが、委任と事務管理の相違が分かりやすい。
また第三者弁済(§§474,501 I)による、担保権(留置権)の行使の構成も考えられるが、Yは委任構成を選んでいるので、それに従うことにする。
【X2番枠】
留置権の被担保債権である委任費用償還請求権の消滅時効を援用することになる。Xは消滅時効期間を5年とするが、根拠は詳らかではない。原審は10年と認定している。
【Y2番枠】
そうすると、Yは消滅時効の主張を阻止しなければならない。すると現行法では§147 Iを適用することになる。「コロンブスの卵」のような当然のことだが、「⓪ Yの権利の時効完成(S.30.06.23)前」に、つまり権利者Yの被担保債権が時効消滅する以前に、少なくとも時効の完成猶予効を得なければならない。それがXの提起した訴訟係属中に、Yが自己の被担保債権存在の主張としてYは留置権を提出した。Yとしてはこれを民訴法147条による、時効の完成猶予効を発生する、訴えの提起またはその他の文書提出として主張することになる。
【X3番枠】
それに対してXは§300に基づいて反論する。判決理由中「固より訴訟上の留置権の主張は反訴の提起ではなく、単なる抗弁に過ぎない」、「留置権によって目的物を留置するだけでは、留置権の行使に止り、被担保債権の行使ではないから、被担保債権の消滅時効の中断[⇒現 時効の更新]、停止[⇒現 時効の完成猶予]の効力を生ずるものでないことを規定した」とある。そこでYが留置権を占有権原として主張することは、被担保債権の行使でもないし、その存在の主張でもない、ということになろう。
また、「留置権の抗弁を提出し、その理由として被担保債権の存在を主張したからといつて、積極的に被担保債権について訴の提起に準ずる効力があるものということはできない。従って、原判決が本件の留置権の主張に訴の提起に準ずる時効中断[⇒現 時効更新]の事由があると判断したことは、法令の解釈を誤ったものといわなければならない」とある。このことからYの主張が認められて、留置権の存在が確定したとしても、それだけで時効更新効まで認められないということになる。
【Y3番枠】
この点について、引用最後の部分を利用することになる。「該訴訟が被担保債権の債務者を相手方とするものである場合においては、右抗弁における被担保債権についての権利主張も継続してなされているものといい得べく」は、「被担保債権の債務者Xを相手方とする訴訟での留置権の抗弁は、Yの被担保債権についての権利主張も継続してなされているものといえる」ということである。したがって「時効中断の効力も訴訟係属中存続するものと解すべきである」ことになるが、この時効中断は「時効の完成猶予」ということになる。さらに「当該訴訟の終結後6ケ月内に他の強力な中断[⇒現 時効の完成猶予]事由に訴えれば、時効中断[⇒現 時効の完成猶予]の効力は維持されるものと解する」とある。「他の強力な中断事由」を予定しているが、それは、現行法での§§147、148に該当する。したがって留置権の抗弁は、裁判上で行使された催告(§150)である。したがってこれは「裁判上の催告」とよく言われるものである。
解析結果
Xの主張 |
Yの主張 |
所有物返還請求【§206】 ① Xは本件株式を所有している【§896】 1) A2の死亡 2) X=A2の相続人 3)本件株式がA2の相続財産に含まれる(相続財産) 本件株式:A⇒A1⇒A2相続 ② Yが本件株式を占有している |
|
1.委任費用償還請求【§650】 ① XY間の委任契約 (委任内容:Bに対するAの負債整理事務一切) ② Yが①の委任事務を処理 ③ Yの①のための有益費の支出 2.費用償還請求権に基づく留置権行使【§295I】 ① 物(本件株式)に関して生じたYのXに対する債権(委任費用請求権) ② 他人(A(X))の物(株式)の占有 |
|
被担保債権(委任費用償還請求権)の時効消滅 ① 起算点:YのBへの支払期S.22.06.23【§166I②】 ② 消滅時効完成(①から10年経過S.22.06.23)【§166I②】 ③ X→Y債権の消滅時効を援用【§145】 |
|
時効完成猶予【§147 I】 ⓪ 消滅時効完成(S.30.06.23)前 ① 訴訟係属中の留置権の抗弁 =Yの被担保債権存在の主張【民訴法147】 ③ 訴訟未終結 ⇒時効の完成猶予(消滅時効未完成) |
|
置権行使しても、被担保債権の消滅時効進行【§ 300】 留置権の抗弁≠時効完成猶予事由 =反訴の提起 ∴留留置権の存在が確定しても、時効更新効はない |
|
催告による時効完成猶予【§150】I ⓪ Yの権利の時効完成(S.30.06.23)前 ① 催告(裁判上の催告) 1)訴訟係属中 2)留置権の抗弁 留置権行使と別個の被担保債権の存在を権利主張として主張 ③ 訴訟未終結[または終結後6か月未経過] ⇒時効の完成猶予(消滅時効未完成) |
終わりに
旧時効法、特に「中断」についての判例は、現行法を学んだ者にとっては、理解しがたいところだろう。その原因は「中断」に現行法の「完成猶予」と「更新」の両義があったからである。現行法はこの点をすっきりと整理した。それでも、現行法でこの判例の価値は一向に損なわれていない。§300との関係で、分かりにくい部分もあるが、被担保債権の存在をその債権者が主張したとどのように評価したかを、じっくりと研究すべきである。
コメント